読書離れとは、本離れ?図書館離れ? 読書の概念も多様化してきています。
そもそも読書とは
『これからの図書館像-地域を支える情報拠点をめざして(報告)平成18年3月』によれば、「これまでの図書館は本が中心だったが,雑誌・新聞記事,インターネット上の電子情報,地域のチラシ・パンフレット等の多様な資料を提供し,関係機関と連携して各種の講座やセミナーを行う。特に、地域の課題解決には雑誌・新聞記事の提供が必要である。」と提言しています。
社会構造の変化に伴い、地域の役に立つ図書館として存在意義の確立を目指すためには、図書館が所蔵・提供する資料の収集方針の拡大が必要だとしたのでした。
求められる図書館像が変化する中で、読書とは何か改めてその概念が問われてもいます。中野美雅氏は、「行動科学の立揚からみた読書離れの分析」高田短期大学紀要第27号(平成21年3月)で、次の15 種類を設定して読書とみなすかどうかのアンケートを実施し、その結果を示して論じています。
複数回答可として実施したところ、回答者は48名で年齢は19歳〜62歳、男性18 名、女性30 名、年齢・性別分布を省くと結果は下図のとおりであったと報告しています。聖書、経典が入っているのは、大学が開講している学部学科によるものと思われます。
その他は3件あって、案内書、百科事典、白書が記述されていたとのこと。回答者数は少ないですが、何を読書とするかは多様であり、その人にとって必要かどうかで判断されるものである様子がわかります。
アンケートにはインターネット上の情報は含まれていませんが、今日であればWeb上の情報やSNS情報なども読書に含まれたであろうことは想像に難くありません。
絵を観たり音を聞いたりして心に何かを感じるように、文を読んで何かを感得する行為を読書とするなら、文が書かれている媒体は問わないことを示しています。
巷間言われる読書離れとは、正確には「本」離れであり、「求める情報が無い図書館」離れのことを指しているのであって、読“文”という行為にこそ意味があるのであれば、文が書かれる媒体に違いはあっても、そもそも読書離れという現象が生じたことはこれまでもなかったと言えるかも知れません。
本の存在意義
ところが、未来永劫紙媒体の本が無くなってはならないと強く思える事態が発生したのです。2020年のアメリカ大統領選挙での出来事です。
SNS情報が遮断されたのです。
電子情報は一瞬にして遮断され、消滅させられてしまい、読文という行為を失ってしまったのです。
日本には世界のどの国よりも多くの古文書が私蔵として残されており、戦後はアメリカによる焚書があるもその多くがかろうじて図書館で難を逃れています。
電子技術が今後ますます発達したとしても、人が過去を引継ぎ未来に繋げる役割を担っている限りは、本は決して失ってならない存在だと気づくのでした。